東北大学病院 放射線診断科

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留学

UW-MSU留学記

大田英揮


 2007年9月よりアメリカ西海岸Washington州SeattleのUniversity of Washington(以下UW)に、2008年5月より2009年9月まで中西部Michigan州East LansingのMichigan State University(以下MSU)に留学してきましたので、報告致します。

UWでは約半年にわたり、Prof. Chunの指導の下、頚動脈のplaque imagingに従事しました。最初の約3ヶ月はトレーニング期間であり、解析プログラムの使い方から始まり、組織標本とMRI所見との対比、画像解釈等を学びました。撮像シークエンスはTOF、T1WI、T2WI、PDWI、ガドリニウム造影T1WIが基本であり、その信号パターンからplaqueの性状を判断していきます。トレーニングの終了後は、実際にtrialとして集められた症例の読影を進めつつ、研究テーマを決めていきました。ラボはreviewer(画像解析担当)のみならずエンジニア、データベース管理者、MR物理学者、撮像技師、病理学者、統計学コンサルタントなどの多彩な人材で構成されており、日本にいたときに比べ画像解析に集中できる恵まれた環境でした。このためこの領域での研究を先駆的に進めており数多くの論文を排出している一方、Prof. Chunはなかなか厳しく、かなり強いプレッシャーに晒される毎日でもありました。そんな中、読影も比較的スムーズに進められるようになり、trialの読影が一段落つき、またSeattleでの生活にも少しずつ慣れてきた頃、留学当初より計画されていたUWとMSUの共同研究のため、5月からMSUに異動することになりました。

 留学中の異動は比較的珍しいことだと思いますが、折角の機会ですので、引っ越しの間の休暇を利用し、遅れて渡米してきた妻とともに車でのアメリカ大陸横断を敢行しました。HONDAのCR-Vに積めるだけの家財道具を載せ、Yellowstone国立公園、Devil’s tower(「未知との遭遇」で宇宙船が着陸するタワー)、Mount Rushmore(山肌に歴代大統領の巨大な彫像が彫られている)、Badlands国立公園(「ジュラシックパーク」の化石発掘現場)などに立ち寄りながら、Washington、Idaho、Montana、Wyoming、South Dakota、Minnesota、Wisconsin、Illinois、Indiana、Michiganと11州、約5000kmを9日間かけて走破しました。雪中の山越えや、パンクなどのアクシデントにも見舞われましたが、毎日夕方に到着した町のモーテルに宿泊し、開拓時代とさして違いのなさそうな広大な大地を旅したロードムービーさながらの日々は、アメリカという国を理解するための一助として得難い経験になりました。

 Michigan州は、ChicagoのあるIllinois州の東隣にあり、五大湖に面する広大な州です。Michigan州を説明する際にその形状から右手の手掌に見立てて、「この母指の辺り」などというような言い方をする人が多いのですが、MSUのあるEast Lansingは、ちょうど母指球の辺りにあります。自動車産業で有名な同州のDetroitとは対照的に、East Lansingは夏の夜には蛍の群れを見ることが出来る、自然の多い小さな町です。

 MSUでは、毎日キャンパス内にあるclinical center(外来クリニック)に通い、引き続き頚動脈のMRIと向かい合う日々でした。主にMSUにて集められた症例を解析していましたが、同時に、UWのサーバーにアクセスし、UWでの仕事も継続して行っていました。上司のDr. DeMarcoには非常に丁寧な指導を仰ぐことが出来、また仕事以外でもホームパーティーに招待もらうなど、公私にわたり大変お世話になりました。UWに比べ全体的に時間の流れがゆったりしていましたが、研究環境としてはかえってのびのびと仕事をすることができました。研究成果としては、2年間でRadiology,Arteriosclerosis Thrombosis, and Vascular Biology (ATVB), Strokeからそれぞれscientific paper が1編ずつ、reviewとしてCirculation Journalから1編、book chapterが2編出版されました。また、学会発表としては、American Heart Association (AHA), International Society of Magnetic Resonance in Medicine (ISMRM),MR Club 2009, RSNAにてscientific paperを発表することができました。

 MSUのDepartment内で特筆すべきことの1つとしてIT group の充実がありました。Department of Radiology内に専属のIT group があり、彼らがPACS、サーバー、E-メール、ソフトウェアを含め、Department内のすべてのコンピュータ環境の管理をしています。アメリカでは仕事の役割分担がはっきりしていて、人材も豊富な傾向がありますが、その中でもMSUのIT groupの充実度は高いようです。

 アメリカ中西部の人々は一般的に親切で気さくだといわれていますが、私たちも多くの心温かい人々に出会うことが出来ました。特に私たちの居たEast Lansing近辺が小さな田舎の大学街であったこともあり、仕事以外においても、恵まれた環境であったと思います。また日本人が非常に少なく、日本語を使う機会が少なかったことは英語のトレーニングとしては良かったとは思います。一方、サムライ居るんだろ?などと本気で質問してくる人や、日本には第二次大戦の時にいたよ、などと言ってくるご老人など、現代の日本を全く知らない人々も多く、彼らに対しては、多少なりとも日本への正しい知識と興味を持たせられたと思います。こういう場所ですから、当然のことながら、日本の食材は手に入りにくく、日本人経営の和食レストランは皆無でした。食材については、なければないなりに、地元の食材を使うことができましたが、後者については私たちが満足できるような和食レストランを見つけることは出来ませんでした。酢飯をつかわない寿司や、べとべとの天ぷら、Japanese restaurantと銘打った不可解な焼き肉レストラン等々。ですから、知り合った地元の人たちに美味しくて低カロリーの料理を紹介したいときには、うちで手料理を振る舞うことにしていました。

 その他には、本当に何もない広大な大地に魅せられ(他にすることもないので?)、ランニングを始めました。5月にはクリーブランドマラソンを完走し、8月にはトライアスロンを完走しました。これもミシガンでの素晴らしい経験のひとつになりました。また、2月に長女が誕生し、渡米前とは全く異なった新しい生活が始まりました。

 この2年間のアメリカでの日々は、研究生活の充実はもちろんのこと、色々な意味で私の価値観を変え、同時に日本のすばらしさを再発見させてくれました。この思い出深い、充実した経験を、今後仕事に、日々の暮らしに活かしていきたいと思っています。 最後に、このような貴重な機会を与えてくださった、高橋昭喜教授を初め、医局の先生方にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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