東北大学病院 放射線診断科

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30年間の医局概要

 30年前の1992年(平成4年)は、当分野は「放射線医学教室」として、放射線診断と放射線治療の両分野を含む領域を担当し、診療科としては東北大学医学部附属病院の放射線科を担当していた。第3代の坂本澄彦教授が教室を主宰され、専門の放射線生物学を生かした放射線治療の研究と診療をされ、同じく放射線治療を専門とする山田章吾が医学部の助教授、核医学と放射線診断を専門とする中村護が放射線部の助教授をされていた。
 1980年代末から1990年代当初の放射線診断分野は、高度医療機器導入が盛んになり始める時期に相当し、CT、MRI、DSA、SPECT等を用いた診療と臨床研究の急速な発展の始まりであった。また、IVR(インターベンショナルラジオロジー)の優れたデバイスが開発され始める時期でもあった。当分野とは別に隣の抗酸菌病研究所には核医学研究を主な研究分野とする放射線科があり、抗酸菌病研究所附属病院の放射線診療を担当していた。
 1996年には第4代教授として山田章吾教授が就任した。
 1998年(平成10年)には、大学院重点化により放射線診断分野と治療分野が分かれることとなり、それぞれ「量子診断学分野」「量子治療学分野」となった。高橋昭喜が量子診断学分野教授に新たに就任し、量子治療学分野は山田教授の担当となった。分野は二つに分かれたものの、放射線科専門医のための教育や諸行事は、一つの医局として今日まで一緒に協力して行っている。
 1990年代の放射線診断分野での同門の活躍としては、1990年に当分野出身の上村和夫第4代所長が秋田県立脳血管研究センター(現秋田県立循環器・脳脊髄センター)に就任し、ポジトロンCT:PET(Positron Emission Tomography)等の研究で世界のトップと言える数々の業績が挙げられる。また、国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)では、高宮誠放射線診療部長が電子ビームCTでの心大血管診断と心血管のIVR(分野の発展期をリードしていた。
 放射線技師との連携と教育も当分野の重要な業務であるが、全国的流れとして医療短期大学の4年制大学への制度変更を受けて、2003年には本学の医学部保健学科が認可され、2004年に保健学科一期生を迎えることとなる。当分野からは、田村元教授が就任し、放射線関連の物理学を主に担当することとなった。既に医療短期大学部教授であった丸岡伸教授、洞口正之教授は保健学科教授となり、核医学および画像診断を担当することとなった。
 さらに、2006年には、石橋忠司放射線部准教授が保健学科教授に就任した。その後、2007年には洞口教授に替わり、齋藤春夫教授が就任している。
 診療においては、1998年に登場したMDCT(マルチディテクターCT)により、CT検査時間が大幅に短縮し診断精度の劇的な進歩が訪れた。MRIの高速化と普及も相まって、放射線診断業務激増の時期を迎えることになる。
 高橋昭喜教授時代には、CT、MRIをはじめとする画像診断業務が15年程で4倍に増加、放射線診断科のもう一つの主な業務であるインターベンショナルラジオロジー(Interventional Radiology、以下IVR)が医療機器の進歩と共に顕著に増加した。全国の国立大学病院と比較して非常に少ないポストの下で放射線診断業務を維持していたが、次第に困難となった。CT、MRI、核医学等の画像診断のすべての読影を一貫して維持していた放射線診断業務は危機を迎えたが、医局員の献身的努力により業務維持を行った。
 その後、年俸制の助教・助手ポストを病院から配慮され、2014年には放射線業診断業務は18ポストでの運営となった。この間2000年(平成12年)には東北大学医学部附属病院と加齢医学研究所附属病院との統合があり、放射線診断業務の中の核医学診療業務の一部を加齢医学研究所の放射線科であった「加齢核医学科」が担当することとなった。
 研究面では、高橋教授の専門である神経放射線分野をはじめとして、全身の画像診断の臨床研究が発展し、殆どの放射線診断医が参照する「脳MRI」三部作をはじめとする多くの著書が出版され、北米放射線学会(Radiological Society of North America、以下RSNA)にて毎年多くの発表がされ、毎年のように受賞があった。
 2015年には高瀬 圭教授が就任し、講座名が「量子診断学分野」から「放射線診断学分野」に改名され、大学院医学系研究科の臨床放射線領域は「放射線診断学分野」「放射線腫瘍学分野」の2講座となった。
 2016年には放射線診断の臨床業務において、画像診断の一部である核医学診断の半分を担当していた「加齢核医学科」が廃止され、画像診断業務は完全に放射線診断科に統合されて現在に至る。高瀬教授は本学サイクロトロンラジオアイソトープセンター(CYRIC)に設置されている臨床研究のための東北大学出張診療所長にも就任し、CYRICの臨床研究関連スタッフは放射線診断科兼務として連携を深めることとなる。
 2018年には当分野から、本学保健学専攻画像診断学分野に植田琢也教授が就任し、AI(人工知能)に関する研究を開始し、本学における医療AIをリードしている。同年には「先進MRI共同研究講座」が産学連携として設置され、大田英揮准教授が就任して心臓血管領域を中心としたMRIの新規画像診断法開発を行っている。
 2019年には、脳画像診断を専門とする麦倉俊司放射線部准教授が、東北メディカルメガバンク機構の画像統計学分野教授となり、MRIコホートデータの研究に尽力することとなった。
さらに、2021年には本学卒で当分野出身の筑波大学金田朋洋特任教授が本学保健学専攻画像解析学分野教授に就任し、核医学研究を展開している。2022年には「超早期画像診断共同研究講座」が設置され、本学の推進する「超早期発見」「未病状態」の画像所見解明に着手する。
 2022年時点で、当分野は三十数名の放射線診断医、22名の放射線診断専門医により診療と研究を行っており、多くの同門の関連病院と人事交流を行っている。放射線治療学分野とは、医学生、基本領域専門研修医の教育で連携し、約70名の診療放射線技師、30名の放射線部看護師等のスタッフ、医学系研究科保健学専攻の7分野と共に放射線科学分野の診療と先端的研究に尽力していく体制である。

放射線診断学分野 2代教授・高瀬 圭

放射線科医局沿革

初代教授・古賀良彦

古賀良彦先生が昭和8年3月に九州帝国大学放射線科学教室より転任され、昭和17年1月に放射線医学講座の初代教授に就任されたのが、始まりである。古賀教授は、間接撮影法、断層撮影法の研究に打ち込んだ。間接撮影法は、その後数年を経ずして陸海軍に浸透していき、後には結核検診、胃検診に採用され、世に多大な貢献をなした。教室員であった高橋信次先生は、その後のCTの原理となる回転横断撮影法を完成させた(後に学士院恩賜賞受賞、文化勲章受章)。

2代教授・星野文彦

2代教授は、星野文彦教授である。星野先生は、2年間米国ベスイスラエル病院に留学し、胸部X線診断の研鑽に励み、帰国後、昭和39年に2代教授となった。卓越した管理能力が買われ、長町分院の院長、東北大学病院長、医学部長を歴任した。

3代教授・坂本澄彦

3代教授は、坂本澄彦教授である。昭和56年放射線基礎医学教室の教授に就任後、昭和61年3代教授に就任した。坂本教授は、昭和41年から米国NIHや英国グレイ研究所に留学し、各粒子線によるがん治療の基礎的研究を行った。この間特にπ中間子および重イオンに関して、日本側の研究代表者として国際研究に従事し、日本における粒子線治療研究のパイオニアとして指導的役割を果たした。坂本教授は、その後、文部省がん特別研究「低線量全身照射による腫瘍制御に関する研究」の班長を務め、その成果は新聞でも取り上げられた。

4代教授・山田章吾

4代教授は山田章吾教授である。山田教授は、米国MDアンダーソン病院に留学し、放射線腫瘍学の研究を行った。平成8年に4代教授に就任した。

大学院大学に伴う改組

東北大学が大学院大学になるに当たり、放射線医学講座は第二内科学講座とともに病態制御学講座に改組され、放射線診断を専門とする量子診断学分野、放射線治療を専門とする量子治療学分野(現在放射線診断学分野と改名)に分かれた。放射線治療科と放射線診断科は現在でも、医局会や各種行事を共に行っている。

放射線診断学分野(量子診断学) 初代教授・高橋昭喜

改組後の初代教授には平成10年に高橋昭喜教授が就任した。高橋教授は世界でも有数の神経放射線診断医であり、特に脳動脈の穿通枝の画像解剖解析の第一人者である。脳神経の画像診断分野において多数の原著論文や書籍を執筆し、日本の神経放射線診断をリードした。教科書では、「脳MRI」3分冊は詳細な画像診断書として多くの画像診断医に読まれている。

放射線診断学分野 2代教授・高瀬 圭

平成27年2月から、当教室は放射線診断学分野と名称を替え、改組後の2代教授として高瀬圭教授が就任した。

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